掲示板「蔵座敷」
メッセージの編集 : 投稿 -> 永倉新八との関係?
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引き続き、ネットで調べてみました。参考情報をお送りします。 やはり、明治5年(1872)頃、北垣さんは榎本さんとともに現在の小樽市近辺を中心の北海道の開拓に奔走されていたようです。 ■小樽築港湾建設事務所みなと資料館 北海道開発局の小樽港湾建設事務所の入口にあるのは,昭和10年に建築されたかつての見張所である.その奥右手海側のかつて機械工作場として使われた建物は,現在,小樽築港の歴史を伝える資料館で,昔の建設写真やコンクリートの試験器などが展示されている.なお,廣井博士が始めたコンクリートの耐久性試験は現在でも継続されており,百年試験といわれ世界中のコンクリート技術者から注目を集めている. また,事務所入口前には第四代北海道長官北垣國道の揮毫「天興極無(てんとともにきわまりなし)」による竣工記念碑が建てられている. http://www.momonga.gr.jp/naoyuki/heritage/otaru/otaru-heri.html ■小樽と北垣さん、榎本さんとの関係に関する記載 http://members.aol.com/nk10jo/kiko1/ota06.html この北垣、榎本がともに明治の初年、当時五円づつを出し合って買った払下げの官有地が、いまの小樽の富岡町あたり・・・ (中略) 地主の北垣、榎本は、忙しい。小樽ばかりを気にかけているわけにもいかない。こうした情勢をみて、「たれか小樽の土地をみてくれないか」と、管理人を探したという。 そこで最初、元は京都見廻組にいた大塚賀久治という男に白羽の矢が立ち、大塚は早速小樽で、北垣らの共有地の地代管理などをした。この際、北垣、榎本の意向によって結社され、大塚に任されたのが、「北辰社」と、いう土地管理のための組織であった。 (中略) 一方、先に述べた北垣、榎本による払下げ官有地の購入申請は、明治5年(1872)に出されている。 ■京都大学附属図書館 維新資料画像データベース 北垣晋太郎の解説 http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/ishin/kanren/doc/jinmei/10440.html
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